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「関係のかくめい 恋愛篇」正規案内

 投稿者:神津陽  投稿日:2010年10月11日(月)03時17分18秒
      電子書籍版送付は、前篇・後篇とも各1000円頂戴致します。仮プリント版は全2000円です。
」     (購読申込先 akouzu@hotmail.com 、振込先:郵便振替 00180-6-15587 神津陽 宛)

神津陽著「関係のかくめいⅠ 恋愛篇」総目次
★前篇 第一章・第二章★
はじめに~引っ掛かっていること、分からないこと

第一章 若者世代では信じ難い恋愛変化が起きている
1、<関係のかくめい>を書く目配りと理由
2、見えないところで劇的関係変化が、、、、
3、草食系男子の性萎縮症はウソではなかった
4、つい五〇年前の絶倫男女のエピソード
5、恋愛・性愛変化にどのように切り込むか
6、身近な恋愛例から問題点を掘り下げる
 A,女三五・男四〇の典型的カップル例
 B,一〇歳年齢差結婚でも破綻する
 C,若者の精神年齢は一〇歳引き評価が妥当なのか
 D,情報化社会がもたらす「アスペルガー症候群」
 E,結婚の形のさばき方~西原理恵子の場合
 F,酒井法子事件の表と裏

第二章 社会底辺での性関係の重層的拡張
1、身障者とセックスボランティア
2、社会的成熟と性的嗜好拡大~同性愛、SMから阿部定まで
3、日本人~外国人の恋愛観比較と国家問題
 A,恋愛も性愛もビミョーに違う
 B,在日・沖縄~国家離脱の可能性
4、閉経後の<快楽園>への迷い道
 A、更年期をどのようにしてプラスに転じるか
B、閉経後の性腺刺激ホルモン激増の神秘
5、男の更年期の課題~前立腺肥大を絶倫へ?
  A、性豪・南喜一も間違えた高齢期の性関係
  B、前立腺肥大は男性ホルモン減少への抵抗作用である
6、養老院や老人ホームでも問題続出!

★後篇 第三章・第四章★
第三章 振り返りみれば~中年世代の恋愛事情の諸問題
1、還暦世代の恋愛・性関係回顧と「林住期」
2、経験から学び得ぬアホな団塊男二例
3、離婚できぬ苦肉策の別居条件は?
4、同時代史での恋愛・性関係変化の諸相
A,ウーマンリブの登場背景と目配り
B, 大原麗子の死~結婚と旧家族とのはざま
C、上野千鶴子・森崎和江<性愛>対談の底流
 D,吉本隆明の「対幻想」の変容~
E、矢川澄子縊死~渋沢龍彦、谷川雁の間で
 F,瀬戸内寂聴の愛の遍歴~井上光晴で打ち止め

第四章<関係のかくめい>の目線を掘り下げる
1、情報社会下の擬似現実の諸相
2、巨大化したネット社会と若者新時代
3、日本での性行動・性意識の最新傾向
4、過敏な人々~結婚・出産拒否、夫婦別姓・別居
5、性関係深化への経験的考察<仮まとめ>
  A,なぜ思い込み・勘違いが続発するのか?
B、自立した五分の関係を目指して
C,恋愛・性愛関係の慣れと流れと克服方向
D、一人合点の下ネタ論議批判
E,恋愛・性関係評価は歴史的に変わる
F、コミュニケーションとしての性
G,恋愛・性愛の輪廻の先に
H、「性は宗教なり、哲学なり、道徳なり、生命なり、人生なり」

<付録1> 現代日本恋愛・性愛史関連年表
<付録2>引用・参考文献一覧

<付録2>本書言及・参考主要文献(あいうえお順)

「愛の傾向と対策」タモリ
「愛の名で性交を受諾するとき」日本生活心理学会編
「アジア無銭旅行」金子光晴
阿部定「予審調書」(ネットで入手可)
『お定色ざんげ』木村一郎
「逝きし世の面影」渡辺京二
「医心房 房内篇」原文対照・清水正二郎訳
「一世風靡語事典」神津陽
「井タ・セクスアリス」森鴎外
「一葉恋愛日記」樋口一葉
「いま堂々と読むSEX BOOK」ホットドッグ・プレス編
「芋虫」江戸川乱歩
「雑談・色里誌」小沢昭一
「Hの教科書」日向野春総
「大H forWoman」清水ちなみ監修
「Xへの手紙」小林秀雄
「江戸の性風俗」氏家幹人
「艶色 江戸川柳」山口椿編
 「厭世詩家と女性」北村透谷選集
「オウムと全共闘」小浜逸郎
「男と女 Hの教科書」志賀貢
「女につける薬」ビートたけし
「女ですもの」 吉本ばなな・内田春菊
「快楽なくして何が人生」「シルバー世代の性愛学」団鬼六
「カオスの貌」川満信一・個人誌
「ガマの聖談シリーズ」南喜一(著作全集所収)
「恍惚の人」有吉佐和子
「こころ」夏目漱石
「滑稽新聞」「面白新聞」宮武外骨
「在日」姜尚中
「サンカの社会」三角寛
「色道禁秘抄 」西村定雅
「児童虐待」柳美里(GⅡ連載中)
「少女民俗学」大塚英志
「昭和家庭史年表」家庭総合研究会編
「昭和史全記録」毎日新聞社
「人性記 日本インテリゲンチャ1千名の懺悔録」高橋鉄編著
「対話篇 性愛論」上野千鶴子
「性感の神秘」高橋鉄
「性神風景」原光正
「図録 性の日本史」笹間良彦
「性抜きに老後は語れない」大工原秀子
「性の彷徨者たち」溝口敦
「性風俗Ⅰ・Ⅱ・Ⅲ」講座日本風俗史
「世界性風俗じてん 上・下」福田和彦
「生殖崇拝論(非売品)」「珍経」久保盛丸
「精力絶倫物語 正・続」源氏鶏太(源氏鶏太短編全集所収)
「セックス神話解体白書」小倉千加子
「全共闘からリブへ」女たちの現在を問う会
「全共闘白書」全共闘白書編集委員会
「戦後史大事典」三省堂
「相対レポート・セレクション」小倉ミチヨ
「第七官界彷徨」尾崎翠
「闘いとエロス」森崎和江
「男女のしかた」夏目房之助
「千草忠夫選集」千草忠夫
「血と骨」梁石日
「データブック NHK日本人の性行動・性意識」NHK「日本人の性」プロジェクト編
「独身者の科学~愛の傾向と対策」伴田良輔
「夏の終わり」「愛の倫理」瀬戸内晴美
「日本艶本大集成」艶本研究刊行会
「懐かしのメロディ 日本歌謡史」(非売品)加太こうじ・森一生・浅井英雄
「日本流行歌史」古茂田信男・島田芳文・矢沢保・横沢千秋
「日本婚姻史」中山太郎
「日本婚姻史」高群逸枝
「日本三大奇書 はこやのひめごと、あなおかし、逸著聞集」少雨叟訳
「日本社会の家族的構成」川島武宣
「日本全史」講談社
「日本のオカルティズム 妖異風俗」雄山閣
「人間の歴史1 食と性の発端」安田徳太郎
「非常民の性民俗」赤松啓介
「風俗嬢 私はつかの間の愛を売る」若林ミヤ
 「不機嫌な時代」、「家族のゆくえ」吉本隆明
「不道徳教育講座」三島由紀夫
「100万人の性科学 合冊増刊号」新風出版社
「プラトニック・アニマル」代々木忠
「プラトニック・セックス」飯島愛
「平民新聞論説集」林茂・西田長寿編
「ぼくふう人生ノート」吉行淳之介
「ぼくらの時代大年表 1955~85」宝島特別編集
「ぽるの日本史」梶山季之
「間違いだらけの中高年の性」石濱淳美
「無の造型―6〇年代論草補遺」谷川雁
「ものぐさ精神分析」岸田秀
「友情」武者小路実篤
「落書日本史」紀田順一郎
「林住期」五木寛之
「恋愛関係」森瑤子
「恋愛術 上」梅原北明
「恋愛の昭和史」小谷野敦
「恋愛の心理」富田隆
「恋愛の方法」巻正平
「老後問題事典」一番ヶ瀬康子・下山俊治・田辺信一編
「我らの時代 別冊宝島200号記念」宝島社
「私のアンソロジー1 恋愛」松田道雄編
「私のイタ・セクスアリス 衝撃のインタビューⅡ」日刊ゲンダイ編集部
「私の居場所はどこにあるの? 少女マンガが映す心のかたち」藤本由香里

「赤い恋」コロンタイ(「働き蜂の恋」に所収)
「エロチシズム」バタイユ
「女の由来」エレン・モーガン
「カザノバ情史」清水正二郎訳
「カーマ スートラ」バートン版
「完全なる結婚」ヴァン・デ・ヴェルデ
「キンゼイ報告」アルフレッド・キンゼイ
「性の社会学」F.ヘンドリックス
「性の歴史1 知への意志」ミシェル フーコー
「性風俗の日本史」F、クラウス
「狭き門」ジイド
「人間の反応 マスターズ報告」V.Eジョンソン
「ハイト・リポート」シェアー・ハイト
「裸のサル」デズモンド・モリス
「フロイト著作集1 精神分析入門」、「 同 2 夢判断」
「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」マックス・ウェーヴァー
「マゾッホとサド」ドウル-ズ
「若きヴェルテルの悩み」ゲーテ
「恋愛と贅沢と資本主義」ヴェルナー・ゾンバルト
「恋愛論」スタンダール  全文了
 
 

1、<関係のかくめい>を書く目配りと理由

 投稿者:神津陽  投稿日:2010年 4月13日(火)23時45分35秒
編集済
   人は誰でも年齢相応に、心身ともに楽しい日々を送りたいと考えている。ひっそり孤独に生きる人もいるが、楽しい共鳴感は友情や恋心や性愛や社会関係のなかで盛り上がる。
 だから他者との交流が不可欠な楽しい関係は一人の思うようには作れず、金や係累が多くとも理想的な関係は実際はどこにも存在しない。だからこそ関係論領域は理解ができ他者にアドバイスできても自分のことは上手く運ばぬことを前提にして、よりよく考え構想し実践してゆくしかないのだ。
 この本は日々を心身ともに楽しみたいが何しろ酷い世の中になってきたと受感する人々のために、現状克服の糸口を探しつつ書いた。
 霊肉相克に悩む純情男性も、ホモはよいがレズはダメ的な男性優位社会に素朴な疑問を持つ凛々しい女性も、もちろん失敗を恐れて好きな相手への告白をためらう弱気な人々も歓迎だ。だが現状全肯定の極楽トンボ連の今後の命運に関しては、残念ながら本書は関知しない。
 二〇〇八年秋米国の下層民向けサブプライムローン破綻で始まった世界恐慌の激化のなか、八〇年前の大恐慌時と同じく各国では新成長路線の模索と雇用確保や消費拡大策が検討されている。新政権下で非正規派遣労働の法的規制は進んだが、高齢者・病弱者・母子家庭など低所得世帯の保護は劣悪で、更に下層のホームレスやネットカフェ難民や外国人労働者は一般社会の視野外だ。
 新世界恐慌は米国でオバマ大統領、日本では鳩山首相を誕生させた。冷戦終結から20年経て歴史の振り子は再々度、自由・平等・友愛の側に向いている。現状の無血革命の流れから見て無駄な投資たる核廃絶への歩みは徐々に進むだろうが、13億人の中国や7億人のインドなど人口超大国側の成長見直しがなければ、近代化の鬼子の環境破壊に歯止めは掛からない。
 日本では議員・官僚・政治支配層・富裕層による社会末端に及ぶ特権的支配の解体、つまり官僚制支配政治の社会への還元が漸く始まった。西欧的競争社会を経てマルクス主義は生まれたが、東洋には元から平等願望がある。今の中国の共産党単独支配やインドのカースト制残存に対しては、日本における官僚支配排除の歩みは体制変革の試金石と成り得るだろう。
 だが大不況下の日本を翻弄する経済的大不況の基盤には若者世代を覆う根深い社会不信があり、伝統的共同体や家族的紐帯の拡散にともなって危機は更に拡大する。社会適応を欠いた幼児的自由・情緒不安定・管理拒否傾向の拡大は、当然ながら生の人間関係を希薄化する。
 バブル期の好況時のフリーター志望は、今やマンガ・ゲーム・携帯・パソコンなど情報依存に移り,ネットカフェの仮住居化に至る。一時金を渡しても弱者保護には至らず、社会末端からの共同体見直しが不可欠だ。真の官僚制解体には、まだ手付かずの議員削減・警察支配・監視社会の逆転が必要だ。
 このところ大不況期に転じた社会末端で出産を選ばぬ夫婦が目立つが、子育ての社会環境が未整備だからとの理解は目配りが狭い。40歳前後のアラフォー世代では結婚拒否が増大し、損を承知で白紙答案を提出し登校拒否に踏み出す児童が急増しているからだ。
 彼らの低音での社会への不満の声は、バラバラな方向に分散しているように見える。だが思い返して反芻すると学校・病院・刑務所が管理機構に転換しているとの1970年代の警告が、いまや現代社会においては先端に浮上していると考えることも出来よう。
 大所高所からの一般論は聞き飽きただろうから、本書では目配りは広く構えつつ恋愛・性愛の共同関係をベースから再建することに方位を絞りたい。旧共同体を前提とする関係的安定感や社会的定着度は,加速する個人主義社会では低下して当然と考えるからだ。
 だが日本では既存共同体への所属が当然視され、個人が選択する共同体形成の伝統がない。そのため社会末端の何百万人もの外国人は絶えず異端視され、資本主義進展に伴う閉鎖的私利私欲追及が個人主義だと誤解される。社会末端では、成員各々の個人尊重は空論に終っている。
 そこで学校で男女同権を教えられながらそれが建前に過ぎぬと分かった女性や,子供への責任を取れぬ男性は恋愛前から萎縮してしまう。その結果この三〇年の継続的な出生率低下をもたらし、世界トップの高齢化社会になってしまったと考えた方がよさそうだ。
 若年層カップルの出産や子育てへの危惧は、子どもは社会の宝のはずなのになぜ大人たちの下らぬお説教を聞かねばならぬのかとの子どもたちからの反発や憤激と対応している。
 しかし日本での急激な出生率低下の背景は経済・社会的要因に止まらず,より根源的な日常的な人間生活の変化があるようなのだ。この判断へ至る受感は科学的知識やマスコミ情報より,むしろ私の周辺の現実的な社会変化の確認からやってきた。
 出生率低下に慌てふためきながら,この不明箇所に近寄らず踏み込めず経済的支援でよしとする政府や官僚や財界やマスコミの対応は感性鈍磨と呼ぶしかない。新民主党政権は一種の無血革命であるが、これらの難題にどう切り込むかは期待半々の見ものである。

 では歴史的な出生率低下を招いている経済・社会変化を上回る、人間生活の主体的変化とは何か。女権論者の要求は相次ぎ為政者側は子供を産み育てる環境作りや経済的支援に躍起だが、それでよいのか?人間は動物ではなく夫婦は国家命令に従う子つくりマシーンでもない。
 保育所を増やしても、入所順位は一夫一婦制モデル優先だ。高収入でも共働き夫婦家庭が入所判定基準のトップで,夫が定職で妻がパートが次順位だ,入所できぬから仕事ができぬ低収入で求職中の母子世帯は最下位となっている。これはまさにお笑い公務員天国で、このレベルからの仕分けが必要だ。
 既成保守制度への迎合が有利となる社会システムの欺瞞を,低所得層や問題意識を持つ若者は熟知している。高度成長期を過ぎて、新たな格差社会がじわじわと固定化されているのだ。
 そこでもっと重要視すべきなのは,生活維持のため誰もがやむなく働くが,負担の増えそうな結婚にはなかなか踏み込めず,その以前に自然発生的カップルそのものが減少している点だ。
 おっかなびっくりながら恋愛に熱心なのは、世間知らずでテレビ情報が主の夢見心地の小・中学女子なのだ。すでに高校生では恋愛劇に疲れ、関係深化の前でUターンしているとの指摘もある。
 高校以降は仮想現実にはまる例が多いが、本当に現実に飽きたのか? 恋愛が性愛に進んだ時点で女は妊娠や性病などのマイナス札をも抱え込むが、男はそんな非難が怖いのではないか。
 その点では大学生ともなれば確かに一昔前までのように、男性がともかく女性を求めてアタックし無理やりに付き合いや同棲を求める本能的性欲は払底しているようだ。大不況下の就職難のためか今の大学生は酒も飲まず悪さもせず、周りから見ると少しも面白くない。こんな実状では感受性豊かに社会と拮抗する才能は、大学には近寄らないだろう。
 昔のビデオでも今のDVDでも売れ行き商品の主軸がエロ物であるのは、日本に特有の現象だという。しかし世界の若者に注目され何千万部も出ているマンガでも、男性向けそして女性向けのレディコミックスと一括されるアダルト物が氾濫しているのだ。
 これら男性が主力のエロ物希求は男女関係のカサカサな現状の否定なのか、切なる恋愛願望なのかは即断は出来ない。だが恋愛から性愛へ至るパイプが、詰まっていることは確かだ。
 正規の結婚や出生率が劇的に低下し高齢化社会が到来するとともに,他方で主に携帯出会いサイトを舞台とする一回的で拘束のないセフレや援助交際が激増している。
 そんな無責任な一時的出会いに関する相互の誤解から、多くのストーカーや復縁要求の事件化がマスコミを賑わすいたちゴッコとなっている。これらは男性の本能的性欲が安定した充足先を見出せぬゆえの事件化であり、恋愛技術やカップル・夫婦像の見直しが社会的に必要だろう。
 古来よりの伝統的理解では性愛関係の前には恋愛感情があり、どんなカップルにもきっかけとなる機縁や双方向の関心や時間を使って会う必要性があるはずだ。だが私の知っている最近の日本のカップルには、そんな恋愛関係のきずなは外からは殆んど伺えない。

 かつてスタンダールは「恋愛論」で恋愛を、情熱恋愛、趣味恋愛、肉体的恋愛、虚栄恋愛に区分して見せた。だが恋愛の発端は小枝を宝石に見せるザルツブルグの塩鉱の結晶作用のような熱病だとも言う。だがそのような情熱的恋愛が性愛と結びつき、日常生活化への欲求に転じねば同棲も結婚も出産も生じ得ない。
 巻末年表を見て欲しいが、日本ではつい少し前の大正時代ころまで恋愛抜きの見合い結婚が主流で、家格の釣り合いで顔もよく見ず新生活を始めた。そんな結婚は奴隷生活に過ぎぬとの厠川白村らの批判が続き、昭和のモダンガールも登場する。だが全般には金持ちで文化かぶれの男好きくらいの受け止めであり、道徳の縛りが強く心奥に届く恋愛論などなかったのだ。
 昭和も戦後になって女性参政権が確保され男女同権は法的に保障されるが社会基盤が追いつかず、高度成長期を経た1970年代になって男女同等の恋愛劇が始まったと考えてよい。だがその頃の恋愛パターンは今人気の韓流ドラマと
同様の、恋愛外部からの規制やしがらみも強かった。
 現在の恋愛関係モデルは更に進み、人気ドラマを見ても原作の多くはマンガである。マンガの筋の展開は場面変化が主なので、内心のプロセスは主軸ではない。また登場人物の殆どが美男美女やスポーツや仕事や対立抗争の勝者なので、読者は観客かファンか擬似主役になるしかないのだ。
 マンガ的恋愛風土では、高校生になっても好きだけど言えない態度で示せない気弱な生徒には現実的な恋愛経験が生じない。そこでマンガ的に社会の勝者を目指して受験勉強に励むが、志望大学に入っても事情は同じで、よい就職先に入っても同様だ。つまりは昔の見合い結婚と同様の、地位と名誉と金を売買契約する結婚活動が盛んとなっている。
 だが恋愛にはプラトニックな熱病的要素だけではなく本能的欲求も含まれ、仕事も安定した20歳代後半位にはパートナーのある者が多くなる。だが恋愛段階を過ぎた性的関係を持つカップル相互にも、暗黙の境界が立ちはだかる。
 現代のカップルではよほどの偏執狂か社会のはみ出し者でなければ、通常は互いの内面に踏み込まず、遠慮し合い相互不可侵のプライバシー領域を持っている。ちょっとエッチで後は互いにゲームでは相互理解が深化しようがない。

 実際には対等で自主的な性的関係は机上の理想のようで、それが証拠に古来の男性が好んで読んだエロ本の類は殆どが男性が女性を道具視し反応を楽しむための好色技術書だった。だが権利意識が発達し経済基盤も安定してきた現代社会においても、男女対等な性関係の形成にはモデルがなく相互納得は至難の業である。
 相互性を欠く性関係を打破する基軸はどこにあるのか不定だが、わずかな救いは社会変化のなかから伺える。調査や知識習得型の他の今のネット社会の推進役は依然としてエロ掲示板だが、かつての男性のスケベぶりとは別に少しずつ女性主導サイトが登場してきている。
 女性主導板のなかには「ちょっとHなちぇみーのお部屋」のように、内容を吟味した女性向け性文献を多数掲げるところも出てきている。そこでは男性よりはるかに深い性的快楽を知ってしまった女性が、その実感と欲求を後輩に伝える性的解放の基盤が形成されているようだ。
 性的快楽追及の新たな波は、確かに経済力を持った女性側から生まれている。だが女性は一般的に結婚すれば夫を独占し、二人の世界に籠もる閉鎖化傾向が強い。そこで女性が負担の多い出産を選択すれば、子育てに追われて女性主導の恋愛・性愛ゴッコはひとまず終わる。
 その目配り内で一夫一婦制の制約から夫がはみ出すと、妻が許さぬ離婚も急増中なのだ。恋愛が数多いと性的相性はよく分かるが結婚は望まぬ例も多く、男女関係の深化はなかなか難しい。
しかしDVDやマンガやネットでのエロサイト隆盛を見ると,結婚してもしなくても若者でも中年を過ぎても男性側の性欲自体が減退したと即断は出来ない。
 むしろ男性各自の内部では女性を求める性本能は盛り上がっているのに,その前の心楽しく充実した恋愛関係を獲得できなくなっているのではないか。いや自立した五分の男女関係での恋愛心理の継続が難しので、その延長に性愛が結べなくなっているのが現実の壁だろう。ならベースに戻るしかないだろう。
 学生や社会人の通常の生活のなかで多くの男性が恋愛感情からスポイルされているから,恋愛やセックスのマニュアル本が溢れて合コンや婚活がはやるのだ。恋愛や性関係も外面バランスでは格差社会に転じているため,日常付き合いの延長ではレギュラーな男女関係がさらに遠のいてゆくのだ。
 そうであればこそ恋愛は心の問題であり、性愛を決めるのは心が動かす身体の問題だとの原点の再確認が大切なのだと考える。
 プラトニックラブの初恋から熟年の愛憎に進むと恋情が変質するとの考えもあるだろうが、よく落ち着いて考えると関係幅が変わっても何歳になっても恋愛・性愛は各自の大脳が支配しているのである。

 かような日本社会の恋愛・性愛事情変化は先世代には異様だが,根底の動きは性革命へ向かう欧米型先進諸国には通有の現象である。ゾンバルトの「恋愛と贅沢と資本主義」ではないが、恋愛の一般化は世界的な資本主義文化成熟の結果だとも考えられる。
 逆に社会主義ロシア革命後にはコロンタイが「紅い恋」を書いてベストセラーとなり、大恐慌年には西条八十が「東京行進曲」の4番を「長い髪したマルクスボーイ 脇に抱える紅い恋」と結んだ。この原作詞はのちに諸都合で「シネマ見ましょかお茶のみましょか いっそ小田急で逃げましょか」に変わるが、今度は小田急からクレームが付いてしまう。
 コロンタイは男女同権の結婚制度に縛られない自由な男女関係を模索し、社会主義フェミニズムを提唱した。だが実際の社会主義国ソ連邦では労働力確保のために共働きが原則で保育所も完備されたが,家族形態は自由な恋愛以前の厳格な一夫一婦制の生産基盤に縛られてきた。
 逆に解体したソ連邦も市場経済選択後の中国も今や都市社会末端まで性的放縦化が進んでいるが,これはグローバリゼーションと並行した資本主義文化の直反映に過ぎない。更に経済的発展が遅れている中間諸国では、伝統的心情が資本主義文化を制している段階だ。
 だから現代世界に点在する先端国から発展途上国までのいかなる文化も、誰もが知っている既成の進歩観的枠組み内での制度改革ではもう先が見えている。人間の歴史を左右しかねないこの性関係の重大転換局面は、既存の社会変革の手法では克服の糸口さえもつかめない。
人間の本能と結びついているはずの性欲歪曲や恋愛不能の新事態は、各人の日常生活と結びついた社会受容の発現である。成熟した大人が持つ性関係では人間も動物の一種だとの受感を伝達したいのだが、情報化社会を浮遊している頭ばかりの若者には笑殺されるだろう。
この書物は個人執筆の評論分野本だが、話すスピードで書いている。章別編成も内容展開も論理構成を軸に書き継ぐことになるが、思い返せば本書の眼目である<関係のかくめい>の概略的内容や脈絡は、私ははるか前の大学在学中に執筆した「蒼☆亡民☆の叛旗」で既に糸口くらいは展開している筈だ。
それから四十星霜を経る間の自身の経験や見聞や思索から、私は考察対象たる<関係>分野は論理的に扱い得ても表層を反芻するに過ぎず、個人で考察しえても実態は他人との間にしか基盤を持てぬ異物であることを熟知している。つまり<関係のかくめい>は思索の果ての産物ではなく、他者との関係を希求する模索のなかから方途が定まる。
誰もが胸に手を置いて思い返すと、好きな相手との間で訳も分からず関係が険悪になったり、相手が思い詰めて寄り添って来た記憶があるだろう。これは個人の考えが理性的であっても同様で、他人の相談には的確にアドバイスできても恋愛・性愛では我が事にはうまく対処できぬのだ。更に言うと親や、子供との接触においても関係の困難は同様である。

その意味では変革を求める<関係のかくめい>に関しては、その推進力も実体験も論理では事はうまく運ばず、ベテラン行動者は書く必要もないことを了解しつつ、背理のあわいを書き継いで筆を進めるしかないのだ。うまくピントを合わせた表現が出来たとしても足下の問題には善処できぬ事態は、物書きに取っては背水の陣での冒険に近い。
恋愛や性関係の分野では若者は本能的欲求に従う馬鹿力がある筈だが、年配者には経験に見合う熟成がありポジションに伴う抑制もある。自己史においては常に自分のリアリティの所在を示す分野だから、ついついどの年齢でも各年代の秘密めいた話に陥りがちだ。
だが古人の言を受け入れて、私も漸く<還暦過ぎたら何をやってもよい>と考えるに至った。かつて若年時に固執してきた政治領域では少し好転の兆しが見え、今や他人ができることにこだわる時間はない。ならば目線を足下の日常に落とし遠慮なく社会細部へ踏み込もうとの思いが、本書の執筆を思い立ったきっかけだ。
本書の恋愛・性愛関係検討材料は、社会的些事や学問的対象外の異端文献や地下に埋まっていた好事談の類をも含んでいる。だが還元すべきは対等な男女関係のホットな現場であり、禿げ親父同士のスケベ談義ではない。
この誰にも大切な生活の基礎分野がエロ話となる現下の文化状況に私は疑問を持っており、制度改変を越えた男女の心身の<関係のかくめい>のモチーフに沿って、自己史のなかでのダイレクトな経験や見聞を背景に考察を進めたい。
 本書では導入的に忙しい社会人には分かりにくい、恋愛・性関係に今どのような変化が起きているかの紹介と考察に力点を置いた。お上品なインテリは口を閉ざす分野へ踏み込めば、様々なリアクションを受けることは承知しているし隠遁も覚悟もしている。
それにしてもなぜこんな難所に踏み込んだのか、ここまで書いていても未だに判然としない。いつでも言うべきことを言いたい私の性格は、バカは死ぬまで直らないの類なのだろうか。いや還暦過ぎたら余生であり何をやっても自由なのだと、再び自己鼓舞しつつ居直っている次第だ。
 

高槻修秘話

 投稿者:神津陽  投稿日:2009年 8月23日(日)18時25分18秒
   当日の急な連絡にも関わらず高槻修君の通夜は50名もの関係者が集まり、斎場の左右には叛旗互助会の花輪が並んだ。小山健君が我らの内の唐牛健太郎死すとの追悼文を書いたが、その中心軸はもう三十五年も前の記憶の数々だ。その点は通夜参加者の皆様も同様だろうから、私しか知らぬ話を書く。

実はこの三〇年近く高槻君は行方不明の状態が続いていた。つい三年ほど前に、叛旗派解体以降三〇年を意識したのかどうかは分からぬが、突然に高槻から私の郵便振替口座に入金があった。そこには長い間の連絡不備を詫び、私の著書送付を申し込み、今後の指導をお願いしますと記されていた。

その後、池袋の安呑み屋で会った。手を大きく振り回す話し方や、でかい頭や大柄で威圧的な体躯は昔のままだった。しかし衣類は上下ともに着のままと分かり、衿口は汗が取れぬのか赤黒く汚れ、靴は後ろ側を倒して履いている。おまけに顔は酒焼けで、歯が一本もなく、持ち物は大型紙バッグだけだった。

まるで浮浪者じゃないかと言うと、金はあるんだが呑み代がかさんでねと笑う。暮らし振りを聞いてみると、印刷所に二〇年勤めてシルク印刷の仕上げ工で腕はよく、そこそこの給料はもらっている。また家はあるのだが子ども二人は独立し妻は親や兄弟の介護で実家に戻ることが多いので、会社近くの三畳の風呂もトイレもテレビもない安アパートで独り気ままにずっと暮らしているのだそうだ。

 酒の呑み方は昔と変わらず、つまみ類はどんどん頼むが手はつけず、ハイピッチで酒だけ浴びるように呑む。手付かずのつまみは私が食って店を出ると、一軒では収まらずハシゴ酒が続く。これはアル中の一歩手前だと事情を聞くと、池袋駅前で飲みつぶれて寝て二度も介抱強盗に持ち金を盗られたそうだ。

 それから丸三年間ほぼ毎月連絡があって、合計五〇回ぐらい呑み代相手持ちでよく会った。衣類や本は随分と渡し、随分と身きれいに変身した。相談の主軸の一つは自分の動きと重なった叛旗派の総括問題でアル。もう一つは家族対応の問題だったが、ここでは省略する。テレビは見ないが、模索舎や古本屋には通って資料は集めて読んで、ようやく考えがまとまり話が出来るようになったと言う。

 一年ほどして漸く精神状態も安定してきたので、2008年と2009年正月に日野の拙宅とその周辺で上原、今西、会沢、松井五などと呑んだ。2008年末の私の「中大1965~68」出版記念会にも出席した。大久保の互助会例会にも二度出ていて、本人が言うには互助会復帰へのリハビリ途中だったのだ。

 叛旗の総括問題では叛旗<解体>なども全て読んでいて、三上、立花、生島らとの本筋の違いは明確だった。ただ中東地区独自雑誌発刊への署名が誤解を生んだ点では、不徳の致す所だと反省していた。行き付けのカラオケ呑み屋の姉さんに頼んで、私の刊行物などはオークションでも買っていたようだ。

 高槻は叛旗解体・高橋克行下獄・東峰十字路裁判勝利の後は、一番近かった中部君はじめ叛旗派の活動家とは全て絶縁していた。高槻の宇和島士族出身の頑固さはよく分かる、私の息子も家出を宣言してから二〇年近く音信不通なのだ。酒を片手の高槻の沈思黙考から私への連絡も二〇年掛かっている。

 問題はその二〇年の闇だが、稼ぎがあって暮らせて呑めていれば、何をやっていても年月は経つのだ。高槻は五エ門に歯医者を紹介されてもついに行かなかった。何よりアル中が心配だったが、市販の痛み止めを大量に飲んで朝はシャキっと目覚めて会社は無休だと威張っていた。六月にどうも締まりが悪くなって小便も大便も回数が増えたと相談があったが、前立腺肥大だろうが大便の方は分からなかった。

六月下旬に症状悪化し日大病院へ救急車で入り、即時入院だと告げられたそうだ。そこで私は息子さんへの連絡を勧め、一週間ほどして会社の近くの池袋病院に入院した。ガンだと告知されたときに母親の最期を思い出し、自分もガンで死ぬとは言っていたが、入院一カ月余での予測もせぬ死だった。

第一回の手術は予測どおり前立腺ガンで、院長に棒を取るか玉を取るか両方でもよいかと聞かれたそうで、私は棒は残せと勧めて本人も納得しカタ金を選び手術はうまく運んだ。だがその直後に奥の大腸・直腸部にもガンがあり、これは人工肛門を付ける難手術となるので検討が必要との話だった。

ところが院長の一存で七月下旬の第二回手術が決まり、八月一五日には仕事復帰の予定だった。母の介護に宇和島に戻った私が高槻と電話で話したのは、人工肛門を付けたときまでだ。その後に腸閉塞となり、更なる転移が告げられ、これではダメだと家族が考えて一八日に転院を決めていたと言う。

 高槻の奥さんから一三日に病状が悪く転院予定だとの電話が入り、一八日に私から電話をしたら虫の知らせだったのか朝四時に死んだとの報告だった。すぐに南池袋斎場での葬儀予定のFAXが入って、慌てて奥さんが喪主の一九日夜の通夜、二〇日朝の告別式を各位に通知したしだいだ。

 高槻修がアル中に近く好き勝手な浮浪者同然の暮らしだったことは、むろん家族も親戚も知っていた。だがガン入院で酒は抜け禁煙状態となり、逆に頭の回転は速く戻った。本人は無軌道な暮らしを痛く反省して、生活態度を改めると誓い、家族が人工肛門処置に便利なアパートも借り家具も揃えた所だった。

 奥さんの話では、私が「映画・連合赤軍」を批判して書いた「かくも無惨な青春!」が近頃では一番面白かったと言ったそうだ。高槻の親父は理科系の教員だったが長く中国に抑留されていて、宇和島で帰国者住宅に住んでいた高槻も古い左翼観に影響されていた部分もあったので、私もこれでようやく安心した。

 高槻は頑固で家族ともぎくしゃくしていたが、入院後は急に話が通じやすくなったそうだ。また宇和島出身の兄弟姉妹とも音信不通状態だったが、入院後は全員と旧交復活したと聞く。最後の電話の折に私が「ガンが家族や親族との関係修復になるとは皮肉だな」と言ったが、これも満足だったかも知れない。 了
 

高槻修さんの思い出 小山健

 投稿者:転送  投稿日:2009年 8月21日(金)09時55分50秒
   昨日、2009年8月18日早朝4時に高槻修さんが亡くなった。組織名、仲代文人が死んだ。もっとはっきり言えば、私たちにとっての唐牛健太郎が死んだのだ。

 私が高槻さんと初めて会ったのは1969年4.28闘争の前々夜だった。高校時代から関西ブントに関わっていた私は、上野勝輝(後の赤軍派)からRG(共産主義突撃隊)の一員として上京せよとの指令を受け、大阪からナップザック1つで中大ブントを訪ねて中大に行った。しかし、当時中大がロックアウトで明治に亡命しているとのことで、明治大学の自治会のボックスに向かった。そこで詰襟姿の学生服を着て、謄写版でビラを作成している大人しそうな学生に出会った。みんな信じられないかも知れぬが、そのおとなしそうな生真面目な学生が高槻修さんだった。

 初めての東京で途方に暮れていた私に高槻さんは生協でごちそうをしてくれ、明治の学館でこれから総決起集会が始まるから参加するように言った。久保井三派系全学連副委員長のアジ演説(この演説で破防法適用)の後、部隊は東京医科歯科大学を占拠し、28日当日機動隊の壁を突破し、秋葉原から新橋へ 霞が関占拠へと向かった。これが私の東京デビュ-であり、最初に東京のブント活動家で知り合ったのが高槻さんであった。

 再び、高槻さんと出会ったのは、69年6月の伊東のアスパック粉砕闘争であった。その後、三多摩の立川にあった都立商短に入学した私は、大学で事務職員のアルバイト中であった神津さんの奥さんの文さんと知り合い、第二次ブント三多摩地区委員会で活動していた。当時すでに赤軍フラクと分裂状態にあった第二次ブントにあって、三多摩の部隊は、中大の代々木寮で中大の部隊と合流し、伊東へ向かった。総括集会中になだれ込んできた機動隊に三多摩の責任者、神津さんが逮捕され、脱ぎ捨てた中核派の白ヘルメットを高槻さんと一緒にたくさん袋詰めして赤ヘルメットに塗り替えた思い出もある。

 そして、7月のブント分裂のきっかけになった明治和泉校舎へ、神津さんの指示で高橋良彦( 後の情況派)の防衛隊に行ったら、高槻さんが先にいて、「塩見が来ない」ということで、みんなでタバコの自販機を壊したりしていた。その後、私は関西から上京した上野の再オルグで大菩薩事件の直前まで赤軍派に参加していた。11・16の戦闘団による蒲田決戦で高槻さんが逮捕された同時期には、自治会委員長と全闘委委員長を兼務していた私は、全学バリストの責任者として昭島署で最初の逮捕・留置生活を送っていた。12月昭島署を出て、学校に戻ると神津さんが来て、「三多摩も軍事組織を作ったから戻ってこい」と言われ、三多摩ブントに戻った。

 翌70年6月の叛旗派結成時には遊撃隊の一員として戦旗派との内ゲバに明け暮れたが、高槻さんと再会したのは翌年6月頃の砂川闘争であった。「おう、久しぶり」と言った高槻さんは、69年のうぶな学生ではなく、拘置所生活が人間を変えたのかもしれないが、ずぶとく頼もしい革命家に変身していた。71年夏 私は都立商短・立短自衛隊進駐阻止闘争委員会を組織し、大衆団体の一員として、阻止共闘会議の行動隊長を務め、飛行機を飛ばせないように反戦鉄塔を建設していた。高槻さんも上原らと鉄塔建設作業によく来てくれた。

 9月反戦鉄塔も出来上がり、当時叛旗派の組織部門の責任者であった立花薫氏(電通大)より、三里塚第二次収用阻止闘争の部隊指揮をとるように指示され、9月12日頃三里塚の地に向かい、9.16東峰十字路戦闘、三警官死亡に出くわした。のちに裁判では叛旗派は三警官死亡と直接関わっていないことが示された。だが当時の東峰十字路参加部隊(出発順に青年行動隊50名・日中20名・人民連帯10名・プロ学同100名・叛旗派100名(あと10名ほどの情況派が付いてきた)・解放派200名・フロント150名・労学連200名・京学連100名 全体約900名)全員は大きく動揺した。日本革命運動史上一挙に三人もの警察官が死に、50名近い警察官が失明、重傷を負った事件は明治初期の秩父困民党以来のことであったからだ。

 動揺する指揮者の私に、急いで現地に来た三上治氏から「ケン(当時の私の組織名)、歴史は1人の個人の頑張りによって突破することもある」と言われ、私は再度9.20公団焼き打ち闘争も指揮継続した。三警官死亡に関わった9.16闘争参加部隊を入れ替える判断となり、代わりに当時叛旗の最精鋭部隊(中大・三多摩中心)を率いて三里塚へやってきたのは高槻さんであった。闘争後、私は無期懲役か死刑を覚悟した。
早くも、9月28日に別件で私に逮捕状(東峰十字路の現場に血染めのタオルが落ちていて、そのタオルが叛旗活動家のA子さんの実家のものという報道が日経新聞に出て、その関係で私が現場に関係していると警察はつかんだ。ちなみにそのA子さんは2年後私の妻になる)が出され、学校・自宅にガサ入れがあり、間一髪、電通大寮に逃げ込んだが、そこでも何度もガサ入れがあり、その都度、寮の屋根裏に逃げ込んだが、72年1月、寮全体が要塞化している中大代々木寮に逃げ込むことになった。

  同時に71年11.19新宿交番焼き打ちで叛旗派に大量の逮捕者が出ており、逮捕状が出ていた、高槻さんと上原と私の1年以上にわたる地下生活が始まる。代々木寮での生活は「楽しい」の一言であった。3人で風呂に行き、食事し、毎晩中大や三多摩、南部の諸君もきて、酒盛りをしたり、歌を歌ったりの生活であった。特に高槻さんの赤木圭一郎の「男の怒りをぶちまけろ」は一番人気であった。機動隊のガサ入れは、朝方5時頃なので、毎晩朝5時に就寝し、12時頃起きだし、三人共、それぞれの地区の学対であったので、毎日学校へ行った。

高槻さんと上原は中部地区へ、私は西部・北部・埼玉地区へといぐあいに。早稲田・学習院・埼玉大・立教大・駒沢・武蔵工大・日大文理・東大駒場等々が私の担当した大学だ。叛旗派は地下生活が閉じられ、妄想化していくことを危惧し、半地下生活。つまり活動し続けながら逃亡するという方針であったので、逃亡生活も明るかった。代々木寮での高槻さんとの思い出はきりがないが、2つだけエピソ-ドを挙げておこう。

  1つ目は、高槻さんと上原、藤原などと代々木寮の食堂で朝食を採っているとき、近くに来た理工学部の解放派が「高槻。お前ブントで偉くなったらしいなぁ」とからかった。高槻さんは、そいつら3人を「みんな手足をもっとけ」といって、ボコボコにし、血へどを吐かせたことがある。「高槻さん、死んじゃうからやめましょう」とぃって必至で止めた記憶がある。その夜から代々木寮にいた解放派は全員が東大駒場へ逃亡した。

  次に72年2月あさま山荘事件の時である。高槻さんと上原と私は劇研の島村の部屋でテレビに釘付けであった。特に高槻さんは「何で俺たちはあっちにいないんだ」としきり言っていた。高槻さんは叛旗だが、赤軍に幻想があった。ダガ私は元赤軍派で、彼らの大言壮語、内部関係の出鱈目さ、大衆運動の指導部からの召還、革命の昂揚期という誤った時代判断等々、十分に分かっていたので全く幻想がなかった。だが中大では最左派を自認していた高槻さんは少し違ったようで、クリアするのに時間がかかったようだ。

その後お互い逮捕され、東京拘置所にいた時、何度か出会った。高槻さんはふてぶてしく、やくざのように看守を従え、「おう」と声をかけてくれた。
  私が出獄後、73年に川口君殺害事件で対カクマルとの激闘が始まっており、代々木寮で毎日のように高槻さんの指導でゲバルト訓練を行った。6.14早大、私を含む叛旗の最精鋭部隊64人が逮捕され、それが叛旗らしい最後の戦いとなるとは当時は夢にも思わなかった。

  11月千葉刑務所から出獄した私は中大代々木寮に駆け付けた。「神田川」の替え歌にもある「24人の突撃隊」に挨拶するためであった。麻布の圭、力丸・三多摩のエンちゃん・節男・トロさん・明学のデロ等々、指揮は中大の上原と青学の横目がとるとのことだった。今から考えれば、戦艦大和の特攻みたいなものであった。叛旗派5年の戦いで、神津・三上氏の2大指導者と年長の救対の比留間先生以外で逮捕・保釈中以外のものは皆無に近い状態であった。上から秀人・高橋克っちゃん、立花、石井、柳、深沢、譲二、高槻、私、上原、春地、エンちゃん、武田、備前など。叛旗派は万身創痍であった。

挨拶で、私は「すぐ後に続くからWACと生死を共にしてカクマルから早稲田を解放するように」と訴えた。夜半、叛旗が早稲田に突っ込まないことにしたと上原と横目から告げられた、どうも上のブントが渋っているとのこと。無傷で逮捕されてもいいブントの指導部と言えば、電通大の垣内・生島・中大の会沢、三多摩のハルチ、事務局の氷山ぐらいしかいなかったが、会沢さんは消耗して、ハルチは「もう1人ブントから出てくれ」といい、垣内・生島はいやがっている等々の話があり、後で聞いたが、神津さんが「俺がいく」と主張したらしいが、三上が大反対したとのことだった。

真相は当事者しか分らぬが、私は上原と横目に「最後まで叛旗を信じてくれたWACを見捨てるのか」と激しく詰め寄ったことを記憶している。こtのときほど獄中にいた高槻さんが側に居てくれればと思ったことはない。
  当時叛旗の一部には早稲田が焦点だといっても1大学の話ではないか。党派の政治生命を賭けるのはおかしいといった意見もあったようだ。また私が早稲田担当の学対でもあったので、それで突っ込めと頑張っているというと受け止める人もいた。

  しかし、その後の叛旗派の歴史を見れば、早稲田解放闘争の73年11月の最終局面で叛旗派の生命は終わったのだ。大衆運動の指導部を自認し、大衆と共にあろうとし、大衆の共同体契機にこだわり続けた叛旗派が土壇場でWACを見捨てた段階で叛旗派は終わったのである。
(2009年8月19日告別式で一部に配布した文書に加筆したものです。続篇も予定しています)
 

<関係のかくめい>へのアプローチ 

 投稿者:神津陽  投稿日:2009年 7月20日(月)05時48分16秒
  2008年10月の米国の下層民向けサブプライムローン破綻から始まった大不況は,世界を席巻してきた規制緩和と自由競争のグローバリズムを逆手に地球大に拡大している。世界恐慌の予兆のなかで前の1929年恐慌時と同じく雇用確保や消費拡大策が論議されるなか,見落とされているのは全労働者の3分の1を占める非正規労働者と高齢者・病弱者・母子家庭などの低所得世帯保護であり,法的保護の薄いホームレスやネットカフェ難民や外国人労働者は視野外である。

だが大不況下の日本を翻弄する経済的危機の基盤には,若者世代を覆う根深い社会不信がある。そこで社会適応を欠いた幼児的自由・情緒不安定・管理拒否傾向の強い者は生の人間関係が希薄になり,好況時のフリーター志望からマンガ・ゲーム・DVD・携帯・パソコンなどの情報依存に移り,さらにネットカフェやカラオケルームでの夜過ごしや仮住居化にいたる。

共同体を前提とする関係的安定感や社会的定着度は,加速する個人主義社会では低下して当然だ。だが日本では個人が選択する共同体形成の伝統がないため,資本主義進展に伴う私利私欲追及が個人主義だと誤解され個人尊重は空論に終っている。そのため男女同権を教えられながらそれが建前に過ぎぬと分かった女性や,子供への責任を取れぬ男性は恋愛前に萎縮してしまう。その結果はこの30年での継続的な出生率低下をもたらし世界有数の人口横這い国となってしまった。

だが過度の急激な出生率低下の背景は経済・社会的要因に止まらず,より根源的な日常的な人間生活の変化があるようなのだ。この受感は科学的知識やマスコミ情報より,むしろ私の周辺の現実的な社会変化からやってきた。出生率低下に慌てふためきながら,この不明箇所に近寄らず踏み込めず経済的支援でよしとする政府や財界の対応は感性鈍磨と呼ぶしかない。

では歴史的な出生率低下を招いている,経済・社会変化を上回る人間生活の主体的変化とは何か。 為政者側は子供を産み育てる環境作りや経済的支援に躍起だが,人間は動物ではなく夫婦は子つくりマシーンではない。保育所を増やしても,入所優先順位は公務員夫婦の共働き定職がトップで,夫が定職でも妻がパートは低順位,入所できぬから求職中の母子世帯などは最下位だ。今の社会システムに迎合する方が有利となる既成システムの欺瞞を,問題意識を持つ若者は熟知している。

 しかしもっと重要なのは,生活維持のため誰もがやむなく働くが,負担の増えそうな結婚にはなかなか踏み込めず,その以前に自然発生的カップルそのものが減少している点だ。確かに一昔前までの男性が本能的に女性を求めてアタックし,無理やりに付き合いや同棲を求める性欲は払底している。だが日本に特有な現象だがかつてのビデオや今のDVDの売れ行き作品のトップはエロ物であり,世界に冠たるマンガにも男性向けあるいは女性向のアダルト物が氾濫しているのは何故か?

 正規の結婚や出生率が劇的に低下し高齢者社会が到来するとともに,他方で相互無責任なセフレや拘束のない援助交際が激増している。古来よりの理解では性関係の前には恋愛感情があり、どんなカップルにもきっかけとなる縁や双方向の関心や時間を使って会う必要性があるはずだ。だが最近のカップルには、そんな恋愛関係のきずなは外からは殆んど伺えない。性的関係を持つカップル内部でも暗黙の境界があり、互いに踏み込まず、各自が不可侵のプライバシー領域を持つようだ、性的関係に相互拘束がなく嫉妬も欠く関係を打破する軸は子供の出生だが、それを忌避すれば解消に至る経緯も多い。その意味では性関係の衰弱の背後には恋愛の希薄化があるともいえよう。

だがDVDやマンガやネットでのエロサイト隆盛を見ると,男性側の性欲が減退したと即断は出来ないのではないかとも思える。むしろ各自の内部では女性を求める本能はわきあがっているのに,心楽しい恋愛関係や充実した性関係を結べなくなったのが現実ではないか。学生や社会人の通常の生活のなかで多くの男性がスポイルされている故に,恋愛マニュアルやセックス本が溢れ合コンや婚活がばやるのではないか。恋愛や性関係も格差社会に転じているため,日常の延長のレギュラーな男女関係がさらに遠のいているのだと思われる。

かような日本社会の恋愛事情は先世代には異様だが,根底の動きは性革命へ向かう先進諸国には通有の現象であり,世界的な資本主義文化成熟の結果だとも考えられる。かつての社会主義国は労働力確保のために共働きが原則で保育所も完備されたが,家族形態は性欲を基盤とする一夫一婦制に縛られていた。解体したソ連邦も資本主義選択の中国も性的放縦化が進んでいるが,これはグローバリゼーションと並行した資本主義化の反映に過ぎない。だから誰もが知っている既成枠組みのなかでの制度改革では,人間の歴史を左右しかねないこの重大局面は克服の糸口もつかめない。

人間の本能と結びついた性欲歪曲や恋愛不能の新事態は各人の日常生活と結びついた社会受容の発現であり,一般的評論をいくら重ねても無意味である。この書物は本は貴人執筆本である以上、章別編成も内容展開も論理構成を軸に書き継ぐことになる。筆者は本書の眼目である<関係のかくめい>の概略的論理内容は、はるか昔の大学在学中に執筆した「蒼ボウの叛旗」で展開している。

それから四十星霜を経る間の自身の経験や見聞や思索から、私は考察対象たる<関係>分野は論理的に扱い得ても表層を反芻するに過ぎず、個人で考察しえても実態は他人との間にしか基盤を持てぬ異物であることを熟知している。その意味では<関係のかくめい>の推進力も実体験も論理外にあることを承知し、ベテラン行動者は書く必要もないことを了解しつつ、背理のあわいを書き継ごうと考えた。これは物書きに取っては背水の陣での冒険に近い。

恋愛や性関係の分野では若者は欲求に従う馬鹿力があるが、年配には経験に見合った熟成があり。ポジションに伴う抑制もある。そこで自己史においては常に自分のリアリティの所在を示すわけだから、ついついどの年齢でも同年代の秘密めいた話に陥りがちだ。だが古人の言ではないが、還暦を過ぎたら何をやっても書いても良いのではないか。これが執筆を思い立ったきっかけだ。

本書の性的関係考察には社会的些事や学問的対象外の異端文献や今まで地下に埋まっていた好事談の類をも含むが,還元すべき場所は対等な男女関係であり禿げ親父のエロ話ではない。この手のテーマを多くの知識人は忌避したり他人事として扱ってきたが,私は制度改変を越えた<関係のかくめい>のモチーフに沿って,自己史のなかでの直接的な経験や見聞を軸に考察を進めたい。
 

7月11日出版記念会のご案内

 投稿者:転載  投稿日:2009年 6月17日(水)13時28分26秒
       「SECT6+大正闘争資料集<増補決定版>」出版記念会のご案内

日時: 2009年7月11日(土)午後4時半より受付開始。5時開会~7時終了
会場: 「坐・和民」新宿大ガード店 10階全席貸切、03(5908)3150
新宿区西新宿1-3-1、新宿サンフラワービル(1階宝くじ売り場、2階アコム)
交通: JR新宿駅西口より小田急ハルク側下る、新宿西口大ガード交差点の手前角ビル
会費:8000円(本代3000円込み)。例外措置もあります、下記★を参照下さい。
呼掛け人: 福地茂樹・神津陽・上原克美
事務局:㈱AIF総研 今西崇男 東京都豊島区西池袋1-5-3エルグビル2階
  電話03-3980-2326 FAX03-3980-2996 mail:imanishi@profit21.co.jp
版元はJCA出版ですが、限定本なので別途に事務局を設けました。ご協力宜しくお願いします。
…………………………………………………………………………………………………
★広く関係者に連絡しますが、本書<増補決定版>の推進役の三名が呼掛け人代表となりました。
★諸般の条件を考慮し、東京新宿の各種駅から3分の交通至便居酒屋での貸切席としました。
★二次会設定は致しませんが、希望者は7時以降の現場会場での自主的延長にご参加下さい。
★出版記念会ですので会費は本代込み8000円です。限定本の複数保有は将来お得なのですが、
既に購入済みでご不要の方は10階受付時に申出て下さい、本代分3000円を値引きします。なお地方からの上京者、疾病・失業などで減額希望の方は受付で上原が相談に乗ります。
★本書は限定出版ですので値引き販売はしません。会場在庫分は3000円で頒布します。
事前・事後申し込みは、郵便振替口座<00180-6-15587 神津陽>あてに一冊3000円分入金があれば徐々に発送します。郵便振替料・発送料は、多部数でも発送側が負担します。
★SECT6関係者は、相互関係の距離の取り方に厳密な方が多いようです。たまたま同席での世間話は問題ないですが、その場でのプライバシーへの踏み込みは失礼になる場合もあります。用件は神津メール akouzu@hotmail.com へ申し出て下さい。
★神津陽「雁の死に体を前にして」、福地茂樹のランボー詩集新訳の会場配布を準備しています。
   ………………………………………………………………………………………………
■出欠確認票■<本用紙を切らずにFAXしてください>

 会場準備の都合もありますので<6月30日火曜必着>で出欠返答をお願いします。
本出欠確認票を記入し、事務局03-3980-2996 へFAXしてください。
旧知の方々は上記事務局への電話での返答や、互助会関係者へのつなぎでも結構です。

7・11「SECT6+大正闘争資料集<増補決定版>」出版記念会に、
<出席 ・ 欠席> します(どちらかに○を付けて下さい)。
氏名:            、電話(携帯):
住所:〒
メールアドレス:
特別連絡:到着・退席は 時  分頃です。その他の伝言は下記余白に記入下さい。
   ………………………………………………………………………………………………

           <7・11出版記念会への口上書>

 皆様ご無沙汰しています。昨今の不透明な世情をどう突破するか、誰もが自問する日々ですね。昨秋の米国のサブプライムローン破綻からGM破産に至る大不況は,かつての規制緩和と自由競争のグローバリズムを解体し、一挙に1929年を超える世界恐慌へ突入しつつあります。米国オバマの手腕はまだ未知数ですが、閉塞日本での及び腰の予算対応は国民にツケを回し官僚層を強化させるだけの愚策ではないか? 国会の与野党のバラマキ行政を巡る応酬は社会上層を滑るだけで、非正規労働者・高齢者・病弱者・母子家庭やホームレスなど低所得世帯には届かない。格差は拡大するばかりですが、社会主義圏は崩壊し天安門事件で中国の惨状も明白。世界にモデルはない。

 昨年前半は「全共闘40年か、新左翼50年か」の議論が盛んでしたが、今必要なのは議論でなく対策です。芸人知事増加は一過性のセールス向上で終わり、「蟹工船」ブームも赤旗増刷で終わる。新左翼はブント系は消失寸前、中核は深刻な三分解で、どの党派にも国民的支持を集め得る組織力も運動もない。市民派に変身した安保世代活動家が主軸の9条改憲阻止の会は緩い政治優先論で、西部邁と柄谷行人の恐慌論対談も副題のファンダメンタルな処方箋にはほど遠い薄味です。むろん全共闘に殉じると粋がっても、思想にも生活にも打開策は見えては来ません。

 こんな世相の深層は想像力の及ぶ全共闘以降の社会的体験や、六〇年安保や新左翼理論史では-測れぬのではないか? だが歴史を視野外においても、現状打開策は過去の失敗の見直しからしか出て来ない。処方箋が見えぬといたずらに嘆くより、歴史に隠された遺産を探すべきではないか? そこで見直すべき歴史遺産として着目するのが、スポットを外されてきた安保後のSECT6と大正闘争です。SECT6は学生運動における反前衛主義の先駆であり全共闘の原点となったことは誰の目にも明らかであり、議会補完型の9条擁護運動の問題点等をも鋭くえぐっています。

 だが誰もが年輪を重ね歴史の只中を生きる事の思索は、若者には欠けていた。大正闘争では行動隊員の妹が強姦されて死に、犯人は行動隊長の弟で、少女の兄の行動隊員が自死する事件が起きた。森崎和江は心の傷を抱えてエロスが冷え-谷川雁と別居、組合は退職者同盟に転換、原点を守れと叫んだ雁は東京に出て詩の死滅宣言を書く。だが森崎の傷はどう癒えたのか、その後の雁の転戦はランボーに拮抗しえたか、退職者同盟は老々同居や介護へどう対処したか。我等の老後はどう解放されるか・どう死ぬかが各自の最大課題となる今なら、思想的テキストとしても考察できます。

 戦前左翼運動が大恐慌に対処できなかった原因は職業革命家を頂点に路線の優劣を競う政治・党派優先観にあり、党派全学連的思考を打ち破った大衆主義にこそ全共闘の抜本的優位性があった。政治は生活者の下僕だとの起点を押さえると、様々な天下国家を巡る政治論より大恐慌目前の生活苦打破が大事との大衆的思想基盤が浮上する。日常の関係のかくめいは-誰もの一生の課題です。

 本出版記念会ではSECT6議長の福地茂樹、中大学館・学費闘争勝利証人の神津陽、七十年の思想に今だこだわる上原克美の三名が呼び掛け人となり、この資料集を肴に、現在が求める反前衛大衆主義の大道を模索します。参加者各人も本音をさらして、来し方行く末を自由闊達に議論してください。議事進行の制約はありますが、後半は飲み放題の無礼講です。この集まりが今後の糧を生む議論沸騰の糸口となるとよいですね。元気が第一です、7・11に再会しましょう。(文責・神津陽)
 

SECT6+t大正闘争資料集<増補決定版>総目次

 投稿者:神津 陽  投稿日:2009年 4月11日(土)10時05分39秒
  ★JCA出版刊、280頁、3000円。要望があったので転載しました。

■SECT6資料
 『SECT6』機関紙創刊号(61・12・5)
社会主義学生同盟全国大会に結集せよ
全国結成大会準備会 ……………………………………… 7
   テーゼ 一九六一──上 玲子 ……………………………… 18
 『SECT6』機関紙第二号(62・2・10)
社会主義学生同盟全国結成大会への準備にとりかかれ
社会主義学生同盟全国事務局 …………………………… 22
憲法と革命  トナミ ヒロシ ……………………………… 24
わずかな誤謬──上 玲子 …………………………………… 26
 『SECT6』機関紙第三号(62・4・12)
非情の状況──河野 靖好 …………………………………… 31
『精神の闇屋』のたたかいの矢──陶山 幾朗 …………… 35
第二次東大派批判 ブント崩壊と社学同運動
──古賀 泉 ……………………………………………… 39
 『SECT6』パンフ一号(61・12・14)
全自代に結集した学友諸君へのアッピール
──社会主義学生同盟全国代表者会議 ………………… 46
社学同全国代表者会議に際して再び全国の学友に訴える
──社学同東大教養学部支部 …………………………… 49
 『SECT6』パンフ二号(62・1・26)
くたばれ日銀・福銀の金融資本家ども ……………………… 51
前線からの報告──大正行動隊 ……………………………… 51
革共同の「反戦闘争」批判のレジメ ………………………… 54
党創造の立脚点について ……………………………………… 56
大正闘争/現地にて──古賀 泉・トナミヒロシ ………… 57
 『中央大学昼間部自治会ニュース』三号(61・11・24)
死せる学生運動の現状から──上 玲子 …………………… 59
 『belum omnium contraomnes』(62・4・20)
薔薇 復讐 自同律──上 玲子 …………………………… 66
「日本国民の生命を守る」防衛庁幹部との話し合い ………… 80
 『WASEDA クロンシュタット』一号(61・11・15)
共産主義者同盟における逆説──河野 靖好 ……………… 84
全国学友に対する激 …………………………………………… 95
 『WASEDA クロンシュタット』二号(61・12・15)
パリ・コミューンの幻影──陶山 幾朗 …………………… 98
 東大教養学部社学同機関紙『行動者』一号(61・3・10)
政暴法阻止闘争の混迷を克服するために大衆の現実感覚から
出発せよ──豊南 浩…………………………………… 111
 東大教養学部社学同機関紙『行動者』二号(61・10・16)
民主主義者は怒るぞ──奥野 常民 ………………………… 113

■大正闘争資料
 大正闘争概観Ⅰ(60年2月〜61年9月)「後方の会」 …………… 119
 大正闘争概観Ⅱ(61年9月〜62年9月)「白夜評論」 …………… 122
 大正闘争60年
日本共産党大正細胞→共産主義者同志会 …………………… 133
 大正闘争61年
大正行動隊+「行動隊ニュース」№15〜33 ………………… 147
 大正闘争62年
「行動隊ニュース」№34〜45+退職者同盟 ………………… 186

■解説
 白昼の後退戦から闇の中の後退戦へ──三上 治 ……………… 205
 「SECT6」について──吉本 隆明 ………………………… 215
■付録
 ここに酒あり──谷川 雁(61・6)「現代思潮社ニュース3」 225
 軋──吉本 隆明(61・6)「現代思潮社ニュース3」 ………… 226

■当事者の証言
 対談・SECT6の頃詳細──福地 茂樹+神津 陽 ………… 233
 新稿「2008年恐慌よ、こんにちわ」──福地茂樹 ………… 251
 旧稿追補「Bonne nuit! 左欲よ、おやすみ」
   ──上 玲子(61・9) ……………………………………… 257
■極私的関連年表(1958〜1964) …………………………………… 266
■資料集正誤表 ………………………………………………………… 275
 

<雑感>人生と老化について 

 投稿者:神津 陽  投稿日:2009年 1月23日(金)00時10分30秒
    1、
 本筋の考察とは異なるが、年末年始に直面した老化の問題を検討してみる。私は昔から勉強や仕事や時間つぶしを外すと、書誌的学問には殆んど関心がなかった。そのため今まで学問よりは思想、書かれた文言よりは生きられた思想の方を重視し、参考にしてきた。だが人間の生死に関わる思想の判断は、生きている人間を前提としている。発語者が死んだあとの思想は抜け殻であり、抽象化されて生き延びるしかないのだ。
 このような観点からは、古くから注目してきた吉本隆明が80歳を過ぎて「一人だけ無人島に生き延びたとして、どのような書物を持って行くか」との質問に、「聖書」だと答えていたのには、いささか驚いた。もし私なら「カラー百科事典」とか「近世風俗誌」とか「西鶴一冊全集」とか答えるだろうけどね。そういえばまだ吉本が若いころ「言語にとって美とは何か」だったかを書き終える頃に、「勝利だよ、勝利だよ」と自己鼓舞したとの話にも少し違和感を持った。
 物書きが「勝利だよ」と言うのは、物を書くレベルでの書物の出来具合の評価である。書物は歴史的に残るから勘違いを生みやすいが、生活レベルで考えたら生活者の仕事上の大工夫や発明や特許取得とオツカツの話でしかない。近頃、スガ秀美が「吉本隆明の時代」との大著を出して、吉本が戦後の一時代を画す「普遍的」知識人となっていったかを検証している。しかしその帯では吉本の知の巨人への思想的歩みを<それは果たして、どのような「勝利」だったのか?>と揶揄している。だが、スガは思想は死ねば死に切りとの本質を見失っている。
   2、
 吉本の勝利は書物が繁栄している時代の書物の中での話で、その伝で言えば全共闘も新左翼党派も時期と分野と運動を限定すれば応分の勝利を獲得していたのである。思うに吉本本人は大量作成した頃の作品集が一冊百円で古本屋に並んでいる事も、思想的新刊がすっかり売れぬ事も承知で、とにかく相応の生活費を稼ぐことを真剣に模索しているはずだ。
  ところで正月4日に宇和島の母から連絡があり、吉本隆明の昨夏の昭和女子大字人見講堂での「芸術言語論」の講演記録を見た。これは吉本の要望に応えて糸井重里が舞台回しをつとめ戦後思想の巨人を紹介しつつ講演を追う企画で、会場は若者で満杯だった。吉本は車椅子で登壇し昔のように手を回しながら、予定時間を倍ほどオーバーしても話が終わらぬ熱の入れ方だった。天下の?NHKで六〇年安保を先頭で闘った反日共系全学連とテロップが流れ、それを支持した吉本隆明との表現が出るのは初めてだろう。
だが血色よく紅潮した面持ちの吉本の時間配分に、私は明らかな老いを見た。思い返すともう5年ほど前に社会保険労務士会の講演でも、吉本は車椅子だったがやはり講演時間が大幅にオーバーした。私でさえ昔からの会議や講演や予備校授業でどんな内容でも指定時間で話し終わる訓練をしているが、大先輩吉本が指定字数での原稿執筆や指定時間での講演を決め得ぬ訳がない。構成通りに時間配分が出来ぬのは老いだと考えられる。
  3、
しかし不均等であれ誰にも必ずやってくる老いを、嘆いても怒っても意味がない。85歳の吉本隆明と私の田舎の母親はほぼ同年齢だが、私はこの年始に帰省して初めてまだらボケの実態に直面してしまった。昨夏刊の「時代劇の父~伊藤大輔」の伏線は大輔の先祖筋の宇和島藩内での葛藤だから、私の母親も知人友人に配布したり販売したりしてくれた。しかし12月初めに追加注文があり、何度も確認して大丈夫だと言うので版元から取り寄せて送った。しかし宇和島に戻って見ると、封も解かぬままの段ボールが転がっているではないか。
 驚いて母に聞いて見ると、残部が少ないとは言ったが追加注文はしていないと断言する。そういえば老人介護の仕事をしている末娘が昨夏に短期間だが宇和島に戻った後に「普段はしっかりしているが。気がかりなところがあり安心は出来ない」と言ったのを思い出した。それとなく探ると、母は思いもかけず末娘の悪口を言う。痛いところを突かれると自己防衛で反発するスタイルも、次には私が悪者になることで身を持って体験することになった。
 母のボケの気がかりは、電子レンジで暖めたおにぎりが炭コゲになったり、五千円札が見当たらなくなったりと三度続いた。本の件は次第に追加を頼んだかも知れないと思うらしく実費を支払うと言い出したが断った。五千円は出てきた。だがレンジでおにぎりは2分だが、済みになるには30分もかかる事は誰にも分かる。これには「頭がバカになった」と泣き崩れた。介護経験のある友人は、身内でなければまだらボケ症状は分からぬと強調した。
 実家の隣近所では母はしっかり者で通っているし、人望はあるらしく幅広い友人から始終電話が入り説得役をこなしている。だが月に10日ほど目の見えぬ母の介護に戻っている私の友人は、自分の親とは比較にならぬほど良いけど安心はせぬ方がよい、と言う。一番の問題は男三人兄弟が東京にいるし、自分の四姉妹も他は松山に出ていて、身近に身内がいないことだ。それを母は分かるが勝気なので言えないし、生き方が下手で安定せぬ弟は田舎に戻っても仕事がないとつれない態度だし、当分は環境は変わりそうもない。
 当方が困ったのは。まだらボケが出たり感情の起伏が激しくなる際の母への有効な対処法を持たぬことだった。私は自分の人格形成において、優しいそぶりや愛想笑いが苦手だし、人間関係の基本はこわもてでもよいから理詰めで進めてきた。ところがボケにもボケたふりにも、理詰めの説得は相手の心を打たず役に立たぬばかりか、冷たい対応に見えて逆に反発を買うことが分かったのだ。つまり私が今のままでは、長時間同居を続けても関係が好転することはなく、悪くなる可能性が高い。電話で関係改善に努める方がよさそうなのだ。
、  4、
 あれこれ難題を抱えて東京に戻ると、電話にFAXが何十回も入る。これがもう二十年も前の「兎の耳~もう一つの伊達騒動」の資料準備の際に漢文資料読解でお世話になった、元関東学院女子短大教授の川崎宏さんの訃報だった。川崎さんは勝海舟全集を監修し、名古屋の明治村に関わり、東京で月一回の南予三水会を何十年も主宰してきた。宇和島中学を出た、国学院で学んだ、海軍にいたなどは聞いたが、履歴も年齢も知らなかった。
 いつも帽子を被るゼントルマンだが、年齢ははるか下の私とは妙にウマが合って宇和島関係での疑問や判断や資料が必要な折には何度も連絡を取り合った。彼は既に実家は宇和島になく親戚もいないのに、同級会や講演や映画祭にかこつけて、毎年一度は必ず宇和島に戻っていた。そこでバイクを借りて町の隅々を訪ね、名所を巡り、友人と会い、季節の美味を食して戻ってきた。話の幅も資料への目配りも広く、なかなかのダンディぶりだった。
 今秋も11月末の宇中同級会に出て、末日の伊藤大輔生誕百十年記念映画祭にも顔を出したようだ。私はその少し前に武蔵小金井にある南予明倫館の伊達宗礼理事長とのお別れ会で川崎さんと久しぶりに会い、会の後も駅前の居酒屋で続けて飲んだ。話題は別送した「伊藤大輔」がともかく面白いとの評価が出たので、つい私は宇和島での勤評反対闘争の見聞などを話したが、川崎さんは日教組宇和島支部の文化部長だったなんてところに話が弾んだ。私は国学院で海軍で漢文教師というと右翼かリベラルだろうと思っていたら、どっこい日教組専従寸前の活動家だったのだ。年齢は八十七歳だから親父の組合仲間も知っていた。
昼間だったが新たな発見もあって、美味しい酒が進んだ・
 最後に川崎さんと電話で話したのは十二月上旬で、宇和島の様子などを聞いた、このときに少し話の繰り返しが出たのが気がかりだったが、中旬にバイクで転倒して顔に傷ができたそうだ。一月に入り私が宇和島で母親のまだらボケと取り組んでいる間にも川崎先生の話題も何箇所かで出たのだが、十三日の寒い日に心不全で亡くなったのだ。バイクは危ないのではと何度も忠告したのだが、人工肛門を付けながらギリギリ最後までやりたいことをやり切っての死んだ。先生の奥さんは認知症入院中だそうだが、死ねばすべてがアウトだ。川崎先生の覚悟と行動に対しては、生き方の思想として糧にしたいと考えている。
 

12・21ブント結成50周年記念集会点描

 投稿者:神津 陽  投稿日:2008年12月23日(火)22時41分39秒
編集済
   前評判はいろいろあったが、野次馬として集会を覗いた点描を予断なく記しておこう。
 会場は文京区民センター2階で狭くもないが広くもなく、最初に125名最後に140名との報告も実数に近い。一番驚いたのは、もう70歳半ばの顔を見たこともない安保前世代が多かったことだ。そこで勢い蔵田計成の司会は50年前の発言者紹介に傾く。

 でなことで発言は長崎浩から石井英喜、香村正雄、加藤尚武ら東大メンバーに流れ。さらに早稲田の宮脇せつ、同志社の飛鳥浩二郎に続くが、ブント前の共産党との内部抗争の裏話には今や何のリアリティもない。ここまでで50年の時間幅を回顧談に流さず、現代の課題につなげようとしたのは長崎浩ただ一人で、それも提案に止まる。これが安保ブントの各人が、50年年齢を重ねた現在の思想的実態なのだ。

  長崎浩は党には革命がないとの安保ブントの感性が壁に激突したのは70年安保ではなく、全共闘運動だったと喝破した。そうでないと安保ブントから第二次ブントへの学生運動の流れから、連合赤軍のリンチ殺人も凄惨な内ゲバも生じた事になるからだ。その意味では長崎の視点は、映画「連合赤軍」的新左翼継続観の対極に立っている。

  私の60年代後半からの運動経験では周りに居なかった年配連中が目立つだけで、当然ながら会場の大多数は三派・全共闘・その後の年代が占めている。50年といえば、明治期より長く新選組や戊辰戦争や民権運動や大逆事件まで含む。近くで見ても山口昌男の<「挫折」の昭和史>の分析対象の倍以上の時間なのだ。ソ連圏崩壊やグローバリゼーションから大恐慌に至る歴史的時間の根本変化を見ないで、50年を一括くりにする単線的歴史観や組織継続願望で現代的難問に回答できる訳がない。

 この会の実行委員会の主軸は蔵田計成ら安保前派と、佐藤秋雄や旭凡太郎など安後派に二分されているようだ。後者はむしろ三派全学連や全共闘と伴走した第二次ブントの残党で、今回はいつも一言多い塩見孝也や三上治を押さえるためか発言しなかった。そのため前半の安保前派の回顧談と、後半のポスト全共闘世代の釈迦に説法めいたブント協議会の結集呼びかけが肉離れを起こしてしまった。

 昨今の世界状況は呼び掛け文にもあるように世界恐慌前夜であり、日本の政府も政治家も官僚も労組も学界も既得権防衛に必死で有効対策を示していない。そこで今回の会でひときわ拍手が多かったのは、ブント官僚層の回顧談ではなく長崎造船の西村卓司や元全電通の前田裕悟の労働運動持続の経験談だった。全共闘運動の爆発の秘密も実は党派理論の浸透ではなく、反撃可能な運動スタイルの波及だったのだ。

 いくらブント50年を賞揚しても、会場に来ている大半は組織内論争や分派闘争に翻弄されてきた有象無象たちである。発言誘導も発言者の笑いも主催者側は大真面目すぎて共感を呼ばぬなかで、唯一会場が盛り上がったのはブント50年記念を分と50回忌と言い間違った失言だった。仏教でも49回忌後の50周忌は忌明けであり、棺桶に近いメンバーが主軸で世に方針を出そうとの固執には勘違いが多いのではないか。

  さて多くが移動した二次会会場では、このような場でしか顔を合わすことのない多くの元活動家と会い越し方行く末に話が咲いた。本会場では戦旗離脱者からの面談依頼があり、他方で戦旗との分派闘争での負傷が主要因で離脱した千葉のK君が35年ぶりに顔を見せた。分派幹部連中がいまさら大同団結を訴えても、現場活動家の経験上の傷 が呼び掛けごときで癒えることはないのだ。

  その後に奇特な座持ちからの招待により、同年代の第二次ブント活動家幹部連中のの呉越同舟の三次会に参加した。ご承知のように私は思想は柔軟だが組織原則は自他に厳しい方なので、言いたい放題で話はするが別筋連中に同化したり融和したりすることはない。だがあれこれ考えるところもあるので、近々に恐慌前夜への思想と行動の対処法を掲載する予定である。
 

12.6 互助会忘年会案内

 投稿者:神津 陽  投稿日:2008年11月16日(日)13時01分18秒
  <日時・場所・会費>
2008年12月6日(土)午後6時半~適宜
大久保駅前 居酒屋としちゃん貸切予定03-3365-5997
<JR新宿駅より総武線中野方面1駅、新宿側出口左側30秒>
会費4000円先払、飲み放題・食い放題<常識的範囲は考慮してください>
★事情により減額します。余力ある方は別途に互助会運営・出版助成カンパにご協力下さい。

<世界恐慌緊迫下での忘年会開催主旨>
 本年は日本でのブント創設50年ですが、私たちは現状を踏まえて全共闘40年の経験の掘り下げの方が重要だと主張してきました。だが秋口からそんな新左翼周辺のささやかな比較論議の渦を吹き飛ばす世界的突風が押し寄せ、今のところ出口は見えません。

 アメリカのサブプライムローン破綻が引き金の世界同時株安は、張子の虎の世界グローバリズム下の惰眠を一掃しました。同じ米国発の1929年大恐慌で日本では「大学は出たけれど」職なく、強大米英と弱者ファシズム連合の第二次大戦に至ります。枠外のソ連はレジスタンスで勢力拡大し漁夫の利を得ますが、社会主義圏崩壊後の今回は米主導グローバリズムへの抵抗勢力は払底していて語の真の意味での世界規模恐慌の開始です。

 歴史の進行は外的時間の流れとしては誰にも平等で、各自が年齢を加算して行きます。新左翼50年か全共闘40年かの問いは、年齢的にみれば主体の青春放浪の力点強調差に過ぎません。誰もが老いぼれるのだから、団塊世代の強がりは管制塔占拠30年やオウム真理教20年や、その後の若手の思い入れの強い経験に易々と乗り越えられます。

 私らのこだわりが老人の青春回顧談で終わるなら、多数の物言わぬ旧友が浮かばれない。だから叛旗解体後30年の互助会の持続が意味を持つのは、今に生きる思想としての評価です。現代世界危機にどのように対峙し得るかを基準にチェックすると、ブント50年固執は死体愛玩に近く、全共闘40年強調も過去の遺物に差し掛かっています。

 思想的問いの刃は前にも増して我が身に向かいますが、現実基盤なき大言壮語はゼロ地点に咲く仇花です。前恐慌の脱出口はファシズムでもソ連風社会主義でも米国式民主主義でもなかったことは、戦後史が証明しています。戦後後の今問われるのは、グローバリズム国家体制を無化し得る世界構想であり格差社会を呑み込む生活思想です。

 年に一度の忘年会なので、呑み放題・食い放題の貸切席無礼講で楽しく過ごしましょう。
この席では過去に何者であったかの遠慮や空威張りは無意味なのですから、グローバリズムを無視しオバマと張り合う国家無化の心意気くらいは準備して集まりたいですね。

★報告★「Sect6+大正闘争資料集・増補版」編集進行中、「68~70年叛旗結成まで」準備中、「The 叛旗」検討中。神津陽新刊「時代劇の父・伊藤大輔」当日1000円で販売。
★出欠★神津・今西・上原などの携帯電話、及び近隣の互助会関係者にご連絡下さい。
 

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